実は先生にも絵心がない?その理由とは。

絵心のない人へ
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初めに言っておきますが、あくまでこれは一般論であり、個々には素晴らしい尊敬できる美術教師は日本中にたくさんいると思います。

各地でユニークで素晴らしい授業を実践し、教えた生徒が絵や美術が大好きになった、という幸運なパターンもあるでしょう。

「私が教わった先生はとてもよくて、お蔭で絵が好きになりました」と言う声もわずかですが、聴いたことはあります。

私がたくさんの美術教育の書籍を読んできましたが、一番共感した『中学校美術の授業がもっとうまくなる50の技』の著者である山崎正明先生は、公立学校の枠組みの中でよこぞ、ここまで深く素晴らしい実践をされていると常日頃、尊敬しています。

ですが、全国一般をみると、美術教師が子どもの才能、やる気を奪っている事例が明らかに多いのです。

 それは残念なことであり、ここでは、


「そのようなトラウマを受けたあなたに罪はないんだよ」

と多くの人に気づいて貰う為にあえて批判的なことを書きますが、決して同業者である美術教師を貶めようとしていることではないことをご承知ください。

絵心を折る原因の一位は教師

子どものころは絵を描くのが好きだった人はたくさんいます。


しかし、大人になって絵が好きな人はほとんどいません。

それどころか、絵心がないことが大きなコンプレックスになっている人は驚くほど多いのです。

その原因をきいてみると「先生に下手だとけなされた」「がんばって描いたのに成績で2をつけられて傷ついた」など、美術や図工の先生が原因であることが一番多いのです。

しかし多くの人が、実は大きな勘違いをしています。

実はあなたの絵心を踏みつぶした先生自身も「絵心がなかった」のです。

先生自身、絵が苦手で、描き方もしらなかったのです。

だから、あなたに絵の描き方を教えられなかったのです。

先生に絵心がない理由

「そんなバカな!だって、教員免許をもってるってことは、図工や美術の教え方を大学で習っているはずでしょう」

みなさんが、そう思うのはもっともです。

しかし、今の日本のシステムではそうとも言い切れないのです。

これは、おそらく美術大学を出て、教員養成大学にも在籍した私だからこそ初めて知りえた事実で、ほとんどの人は想像すらしません。

それでは一つ一つ、詳しく見ていきましょう。

小学校の教師は図工の専門家ではない

まずは、子どもが一番挫折しやすい小学生時代。

ここで多くの子どもが絵を嫌いになります。


そこで子どもが出会うのは当然、小学校教師ですね。

ところで小学校の教師になるには小学校全科という免許が必要です。

中学校の社会や高校の英語の教員免許は経済学部や英文科でも取れますが、小学校全科、これは教育学部でしか取れません。

ちなみに、私のような美大出身者が取れるのは、中学美術とか、高校美術という免許です。

東京都など一部の地域では中高の美術免許で小学校の図工専科という図工しか教えない教師になれますが、ごく少数です。

小学校の教師になるためには、大学の4年間で全ての科目を勉強します。もちろん図工の授業もありますが、美術大学のように時間をそれだけに多く割くことは当然できません。

 しかも、もともと美術が苦手、不得意だという学生もたくさんいます。

というか、ほぼ全ての人が苦手でしょう。

なぜなら、かれらも他の人と同じく絵心がへし折られているからです。

(折られなかったごく少数の子どもはほぼ例外なくデザイナーや美術作家を目指し、美大に入ろうとしますので小学校の先生になりたい、とはまず思いません。)

とはいえ、小学校の教員となり教壇に立ったら苦手だろうが下手だろうが、子どもに図工を教えなければいけません。

 しかし、国語や算数のように指導の結果が数値で現れやすい教科に比べると、図工の時間は楽しい息抜きや、遊びの時間として軽視されがちです。

なので他の教科より図工の指導力を上げよう、と努力している教師はとても少ないのです。

 その結果、どうなるか。

 自分も描けないのに、描き方を教えられるはずもありません。

多くの教師は、本屋にいって「絵心がなくても図工が教えられる50のヒント」「絵が苦手でも子どもがよろこぶ授業案100」「たった2時間で準備できる図工のアイディア」(本当にこういうタイトルが多いのです。いかに小学校教師が図工が苦手かよくわかります)

などの参考書を買って、それを真似するか、先輩教師の実践を真似たりしてなんとか、乗り切ろうとするのです。

たとえば、あなたも輪郭線をかいて、その中を水彩絵の具で塗る写生画をやったことがあるのではないでしょうか。

それは、ずっと昔、戦前の自由画運動の時代から続く、日本の小学校でやらされていた技法ですが、なぜ、それをこの時期にやるのか、それが子どものどんな力を育てるのか、ちゃんとした根拠はありません。説明できる教師もいないでしょう。

ただ、昔からみんながやっているから、何となくやっているのです。

例えばこれがシュタイナー学校だったら、3年生ではにじみ絵、5年生で素描を学ぶといったカリキュラムがあります。

それは5年生が客観的な自我が育つ時期なので、自己と他者を認識する力を伸ばす為に素描をやるんだ、などの人間観に基づいた理由があります。
(それが正しいかどうかは別です)

対して、日本の図工教育は、ただ楽しい息抜きの時間を提供し、何となく子供らしいお絵かきを教師の裁量に任せて、かなり行き当たりばったりにやらせます。

そして、子どもっぽい表現を「これこそ、個性豊かな子どもらしい感性だ」と絶賛しがちです。

もちろん、それも美術の一つですが、それだとやがて子どもの写実欲求が出てきたときに、殆どの教師が対応できないのです。

なぜなら、自分自身デッサンも知らず、写実的な絵は描けないのですから。

ですから子どもに「どうやったら、うまくなりますか?」と聞かれた時に
「とにかく、よく見て描きなさい」「感じたままに描きなさい」
とよくわからないことを答えるのです。

その結果、子どもは

「ぼくはよく見て描いてるのに・・・でも、先生の言うとおりにしてもうまくならないのは、ぼくに才能がないからだ」

というお決まりのコースをたどります。

本当にデッサンの指導力があれば、こういいます。

「あそこにあるリンゴは凸凹しているけど、基本は球の形をしているね。じゃあ、縦と横の比率は、何対何だろう。測り方を教えてあげるから、まずそれを出してごらん。それができたら、紙にしるしをつけるんだよ。そうして、縦横の比率がわかったら、こんどは上の面と横の面、前の面にわけて考えてみよう・・・」

これは美術予備校に行けば、初日に教わるデッサンの基礎です。

非常に論理的で、明確で、順番に教わればおそらくほとんどの人が理解できます。小学生でも、高学年なら理解できることです。

ただ小学校で、こんな教え方ができる教師はほとんどいません。アカデミックな絵の描き方をどこでも習ったことがないからです。

しかしそれは小学校教師自身の責任とはいえません。絵の描き方、教え方を十分に教えない日本の教員養成システムがおかしいのです。

それならば、むしろシュタイナー学校のように小学校の内はにじみ絵やフォルメンなど、デッサンの高度な技術が必要のない教材をやらせるべきではないでしょうか。

美大出身の教師は作家教育しかできない

それでは、私のような美術大学出身の美術教師はどうでしょうか。

美術の専門家である彼らも(かつての私も当然同じでした)、残念ながら美術教師として理想的とはいえません。

美大生はそもそも教員採用試験に受かりにくい

まず、美術大学に入るためには、美術予備校という所で2~3年は厳しいデッサンや絵の技術、或はデザインや彫刻の技術を叩き込まれますので、技術的には申し分ありません。

しかし、殆どの美大生は実技に全力を注ぎますので、どちらかといえば学科試験は苦手、はっきり言えば学力は一般の大学生よりかなり低いです。

それでも作品さえよければ受かるのが藝大、美大という伝統があります。

実際、芸術家になるのにはそれで何の問題もないと思いますが、教員になりたいなら話は別です。

教員になるには、教職課程で必要な単位をすべて取って、教育実習にいって免許をとるわけですが、そのあと、各都道府県で教員採用試験に合格しなければなりません。

当然、美大生も必死で勉強するのですが、採用試験の一次試験は筆記試験です。二次試験で面接や小論文、実技などがありますが、学力で弱い美大生は筆記試験で教員養成系の大学生には太刀打ちできません。

私の同期で教員になれたのはわずか二人でした。
一方、教育系大学で、美術の免許を取った学生は半数以上が教員になります。つまり、美術大学卒で教員になれる絶対数はかなり少ないのです。

美大生は専門以外のジャンルに弱い

さらに、美術大学出身といっても、いろんな科に細分化されています。

例えば、油絵科と日本画科はデッサン、絵は得意ですが、工芸やデザイン、彫刻に関してはほぼ素人です。

教職課程を取る時に一応、一通り学ぶのですがせいぜい「一回授業で体験した」程度です。

 逆にずっと工芸科で陶芸を専門にやっていた学生も、美術の免許はとれますが、デッサンや水彩画を指導しろ、と言われたら戸惑うことでしょう。そんな人たちは中学校や高校で美術を教えるときは、自然と自分の得意分野を教えがちになります。

美大生は教育に関して、総じて弱い

さらに、美大出身の教師は専門技術は持っているものの、子どもへの教え方はかなり下手です。

一つには、大学で教職課程をとって教育実習にもいくものの、美大生は教育心理学などの座学はもともと苦手なのです。なんとか単位をとれればいいと思ってそこまで勉強しません。

そもそも美大を目指して何年もかけて入学する人はほとんどプロの作家志望です。初めから教師になろうと思っている人は殆どいません。

ただ、現実的にアーティストとして食べていけるのは、ミュージシャンになるのと同じくらい難しいので、安定した収入源として、制作と両立できる仕事として、教職を選ぶのです。
ですから教育をしっかり学んで将来に生かそう、と思っている学生はほとんどいないのです。(正直、私もそうでした)

デッサン、写実主義に対する恨み

もう一つは、絵を教えるといっても、自分たちが予備校で教わったやり方しか知らないのです。

実は、それは作家教育であり、美術教育とは別物です。

予備校では、学校で絵が一番うまいレベルの若者が集まっています。難関の美大を受けようとするぐらいですから、モチベーションも高い人ばかりです。

先生はたいてい藝大卒の人ですから技術レベルも高く、それでも必死に食いついて技を磨いていきます。

正直、最初は誰もが素人同然ですが、数か月すればみるみる上達し、一年もすればほぼ全ての知識や技術をマスターします。

しかし、美大の世界は厳しく、さらに1年、人によっては2年以上かけて技術を磨きあげ、ようやく美大に合格できるのです。

その頃には技術的にはもうプロとしてやっていけるくらいになっています。

ところがです。大学に入ると、今まで必死に積み重ねてきた技術、主に写実的に描く力(これをアカデミックな技術と呼びます)は思考中心の現代の美術にはあまり関係ない、必要とされていないことに気付きます。

実際、世界で活躍するアーティストにはデッサン力などまったくない人もたくさんいるのです。むしろ、必要とされるのは独特な発想力や、思考、知性だったりします。

ここで、美大生は思います。

「いままでの努力は何だったんだ?・・オレの青春をかえせ!」

真面目にデッサンをコツコツやってきた多浪生ほど、恨みが深いです。

実際、私は多くの美大生から受験の理不尽さ、意味のなさを嘆く声をききました。私も同感です。
(ただ、子どもにデッサンを教えるときは、この技術は非常に役に立つのですが)

さて、美大出身の美術教師は、このようにデッサンや写実主義に対して、潜在的に恨み、憎しみを抱いていることが多いのです。

その結果、どうなるかというと、生徒が「写実欲求」がでてきて、本物そっくりに描きたいと思っていても「芸術とは、もっと自由に個性を表現するんだ」と指導することが多くなります。

現代美術に傾倒している教師ほど、その傾向は顕著です。はたから見て、ちょっとユニークな課題、あっと驚かせるような課題を生徒にやらせて、基礎的なデッサンなどは意味がない、芸術の本質はそこじゃないんだ、と避けがちになります。

それは自分が嫌々やらされ、しかも役に立たなかった苦い記憶からくるのです。

 たまにデッサンから教えようとする教師もいますが、自分たちが教わったように、ちょっと説明すれば生徒は努力して、食いついてくれるだろうと思っているので、親切丁寧には教えようとしません。

視点の違いに気がついていない

そもそも、絵が得意な子ども時代を過ごしてきた彼らは、自分たちのモノの見方がすでに、一般の人とは違うことに気付いていません。

絵が得意な人は、画家の視点で、モノや風景、人を見ており、それが手と直結しているので、簡単に絵が描けるのです。

しかし、一般の子どもをそのレベルまでどうやってもっていくかは、彼らは全くしらないのです。

こうして、美大出身の教師に当たったクラスの子どもは、意外なようですが、ほとんどが落ちこぼれます。

「先生は美大を出たプロなんだから、その先生に教わってうまくならない自分は、やっぱりセンスがないんだ」
と落ち込むだけです。

落ちこぼれない少数の例外は、やはり美大を目指すくらいの技術とやる気をもった生徒だけです。

このタイプの生徒には美大出身の教師も役に立ちます。自分が教わった通りに教えて、ちゃんとついてきてくれるのですから。

教育大出身の美術教師は技術に自信がない。

さて、さんざん美大出身の教師をこき下ろしてきましたが、実際の学校で一番多いのは、教育系大学出身の美術教師です。

なにせ、頭がいいので採用試験の合格率が違います。教育を専門に学んできたこの人たちはどうでしょうか。

 大学受験時の事情からいいますと、教育大を受験する学生は、そこそこ偏差値が高いです。
東大、早稲田には及びませんが、美大生とは比べ物にならないほど、学力があります。

 その分、実技の力はあまり必要とはされません。

例えば、東京では藝大や五美大といわれる学校に入るのに最低2年の修練が必要だとすれば、学芸大学などの教育大学には一年くらいの実技の力と、学力があれば可能です。

それがどういうことかというと、教育大学出身の美術教師は美大出身に比べるとやや技術的に劣るのです。
しかし、美術の作家になるわけではないので、本来、それは構わないことでしょう。

ところが、彼らはどこか技術に自信がないのです。美大出身者にコンプレックスを持っている教師も少なくありません。
私は美大を卒業後、教育大である学芸大学の大学院にいって、初めてそれを知りました。

確かに、洋画の授業に出てみると、大学院でも基礎的な実技をやっていて、おそらく美術予備校の浪人生の方がレベルが高い絵を描いていたでしょう。

それは必死さが違うのですから仕方ありません。

院生時代、私たち学生は現役教師や美術教育の大御所が集まる美術教育学会という場に参加していたのですが、ここでは、毎月誰かしら順番に発表する機会がありました。(私も一度発表して、さんざん炎上したのですが、それは別の話。)

ある時、中学校の美術の先生が、自分の経歴や授業実践をスライド付きで発表してくれました。

 彼は中年の教師でしたが、実は自分のデッサン力にずっと不安があり、数年前に美術の研究所に通って技術の向上に努め、ようやく自信がついて生徒に教えられるようになったと誇らしげに語っていました。

私はその発表を見て驚きました。

そうだったのか。じゃあ、今まではずっと満足に絵が描けないのに、コンプレックスを隠して、教えていたのか。

そんな教師がいたんだ・・・という驚きです。

誤解して欲しくないのですが、私は別にその先生を責めているのではありません。

むしろコンプレックスを克服するために、自主的に研究所に通おうとした向上心は素晴らしいことだと思います。

ただ、日本の美術教育がそういう構造になっていることに、美術教師自身が絵にコンプレックスを抱いているという状況に、初めて気づいて、ショックを受けたのです。

美術の教師でさえ、絵を描くことにコンプレックスがあったなんて。

これは、おそらく美大の世界と教育大の世界の両方を知っている私にしか理解できないことでしょう。

美大生は技術はあっても教え方をしらない。

教育大生は技術に自信がなくて、教え方もしらない。

つまり、どこをみても子どもに絵の描き方をちゃんと教える教育はされていないのです。

唯一、私が在籍していた大学院の美術教育学科では、当時、美術教育では日本一と評されていたT教授の元、数人の学生が「本物の美術教育とは何か」と日々、考えていました・・・しかし、それでは、あまりに少ない。

繰り返しますが、日本のどこでも、子どもにちゃんと絵の描き方を教えてくれる教師を育成しているシステムはありません。

仮に、そんな教師がいたとしたら、それはその教師が自ら研究して、自力で身につけたものでしょう。

まとめ

 おわかりでしょうか。

あなたの絵心をへし折った教師とは、実は絵を教えるどころか、絵心のない人だった可能性が非常に高いのです。あるいは、教育にうとい美大出身者か・・・。

ですから基本的に、図工の先生や美術教師の言っていたことを信じてはいけません。

あなたは、決して、才能がないわけでも、絵心がないわけでもないのです。

 ただ、先生たちは、美術の教え方がわからなかっただけなのです。

指導する力がない教師は絵が苦手な生徒に「よく見なさい」と言います。
それは自転車に乗れない人に対して「うまく漕ぎなさい」と言うのと同じです。

本当に優れた教師は、やさしい言葉で、もっとも不器用で絵が苦手なこどもにもわかるように、描き方を教えてくれる先生です。

「見る」ことと「視る」ことの違いを丁寧におしえることのできる先生です。

そんな先生は本当に少ないでしょう。仮に、あなたが教わった先生がそのような先生なら、あなたはとても幸運だったと言わざるを得ません。

でも、大丈夫です。あなたが、自分の絵心が生きていることに気付けば、アートはふたたび、あなたの良き友となるでしょう。

そして、あなたはついてます。

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